| 2008/1/31 |
| ●
寒い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
どうやらパリよりも東京の方が寒いらしいです。
こういう寒い中、暦だけは刻々と春に向かって進んでいきますが、
これから少しずつ春の芽というか、春を感じさせる小さな現象が寒さの中にも
見られ始めますよね。
寒さの厳しい日が続くと春が待ち遠しくなり、春の気配を少しでも感じると
なんとなくうれしくなるのが今の時期なのかな、という気がしますね。
こたつに入って鍋でもつつきながら春を待つのか、
スノーボードやスキーなどで、残り少なくなってきた冬をアクティブに楽しむのか、
人それぞれですね〜。
|
●
寒いからイヤだ、とも言ってられない買い付けに、
Kが行って帰ってきました。
今回の買い付けもなかなか上々の出来だったようなので一安心です。
まだ着荷はこれからなので、届き次第随時、という感じです。
スーツケースに数点の品を詰め込んできたので、そのうちのアディダスのいくつか
の商品は既にオンラインショップに掲載し、もちろん、店頭に並んでいます。
そうそう、今回は久しぶりに ヴィンテージ・アディダス
を少しまとめてご紹介していますので、どうぞどうぞ、ご覧になって下さい。
“ヴィンテージだからすごいんです” ということだけじゃない本物達が集っていますからね、本当に。現代でもかなり勝てる子達ですから。
“違う時代が生んだ傑作達” という感じです。
|
| ●
ー The Story of “adidas”. Vol. 15 ー |
最後にアディダスにかかわるおもしろいエピソードを。
1980年年代後半、アメリカ。
ヒップホップ・グループである RUN D. M. C. が 『マイ・アディダス』 という曲をリリースします。
当時人気絶頂のスターであった RUN D. M. C. のメンバーの面々は、靴紐を取り払った “スーパースター”
を履きながら、“最高にクール” なパフォーマンスを続けていました。
彼らのアディダスに対する愛着によって、曲名にブランドの名前が入るという、まさにアディダスに捧げるような曲をリリースしてしまったのです。
時は80年代、そうです、アディダスが “ダメな時期” です。
これを知ったアディダス陣営は、あろうことか、ブランド名の乱用を懸念して、訴訟を起こそうかと検討に入るのです。
お金では手に入れられないような、ブランドとしては夢のような宣伝活動をしてもらえていることが理解できなかったのです。
さすがに時間が経って状況を理解したアディダス幹部達は、慌てて彼らに山ほどのシューズを贈呈し、150万ドルで契約をしたのでした。
|
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
今ではきっとありえない話でしょう。現代であれば、曲名や曲中にブランド名などの個別名刺が入るとなれば、背広を着た人同士がお互いの利益を話し合い、ビジネス的な要素をふんだんにまとってリリースされるはずです。
しかし、この時は違ったのです。
「『マイ・アディダス』 を歌ったのは、アディダスが好きだったからだ」
とDMCは言っています。
そして、『マイ・アディダス』 がリリースされた16年後、悲しい事件が起こります。
レコーディングスタジオに銃を持った男が押し入り、ジャム・マスター・ジェイの頭部を銃撃、残念ながら即死でした。
告別式の参列者は2000人を超え、メンバーのRUNとDMCも教会から墓地まで
棺を担いだのですが、その際、棺に付き添った人々は全員、亡くなった友への敬意の印として、白の “スーパースター”
を靴紐無しで履いていたということです。
|
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ジネディーヌ・ジダンやデビッド・ベッカムが愛用するサッカースパイクは
“プレデター” という傑作モデルです。
これは90年代のアディダスのヒット商品、つまりアディダス再建時代に重要な役割を果たした、アディダスの会社的には非常に意味のあるプロダクトでした。
着想から初めて製品化された “プレデター” は誰もが認めるひどい製品だったようです。
とにかく重かったらしいです。
従来のスパイクよりも、キックのコントロール性能を高めることを目標にして作られたのですが、お粗末な品ができあがってしまいました。
当時まだ現役のマラドーナに披露し、意見を求めると、彼はこう言いました。
「僕がこれを欲しがると思うのかい?フィールドには裸足で立ちたいくらいなのに、なんでゴムタイヤなんか履かなきゃいけないんだ」
・・・
しかしアディダスはコンセプトを変えることなく改良に改良を重ね、ベッカムやジダンに気に入られるようなレベルまで品質を高め、待望の主力製品にまで発展させたのですから素晴らしい。
まさにこれがアディ・ダスラーの血統、アディダス精神ということですね。
|
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
さてさて、以上のような感じで、長々と続けてきたこのお話も終わりになります。
アディダスの社史に、本当にざっとですが触れさせてもらったわけですが、
栄光や衰退、挫折や復活、いろいろありながら現在の地位を築いてきたんだなぁと思いました。
素晴らしいなと思えるのは、なかなかうまくいかない時期、社をあげて頑張ろうっていうことになった時に、そこで働く人々がしっかり会社に対して、もしくはブランドに対して愛情と誇りを持って真剣に取り組んでいたことです。
そしてなぜそれが素晴らしいかと言えば、その “adidas” というブランドの求心力というか、かかわる人々を惹き付ける魅力というか、ブランド・パワーそのものの力がとてつもないと思えるのです。
ブランドにそういった力を持たせた創始者のアディ・ダスラー、結局この人が偉大だということですよね。 |
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
大きな会社になるには邪魔になるようなアディの純粋な職人魂がまずあって、
けれどもその魂に触れたいアスリートは世界中に存在してするために、
どんどん大きくなってしまったアディダス。
アディ亡き後、大きくなったブランドは大失速、会社はギリギリまで落ち込んでしまいますが、アディ時代の精神を取り戻すことで、再び息を吹き返します。
その精神を取り戻させた優れた幹部や経営者を惹き付けたのも、このアディ・ダスラーの精神に共鳴してのことのように思えます。
優れた精神には、いろいろな優れたものが宿るわけですね。
“優れた” というのは、ビジネスの世界では非常に難しいとされる “純粋さ” なのかもしれません。
いつの時代も、人々が惹き付けられるものの多くは “純粋”度が高いものですし、
それは交わす言葉や付き合い、さらに製品やサービスにも乗っかって、いろいろな方面に伝わっていくものですからね。
|
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そんなわけで、この辺りで。
最後まで読んでいただけた人がいましたら、非常にうれしいです、
ありがとうございました。 |
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ |
| ※この文は 『アディダス 進化するスリーストライプ』(コンラッド・ブランナー著/ソフトバンククリエイティブ)
の内容に則しています。 |
|
| 2008/1/18 |
| ●
いや〜、寒波ですねぇ〜。
今からもうしばらくが一年で一番寒い時期なんですよね。
洋服は常に季節感を少し先に見ているので、どうもそろそろ冬も終わって
ぼちぼち暖かくなるぞ〜、という間違った意識を持ってしまいがちです。
現行製品では来秋冬シーズンの展示会やコレクションが始まっているくらいですからね。
2月いっぱいは存分に寒いのですが、その頃には春夏ものの準備がすっかり
始まっていると思います。
もうそろそろ Kも買い付けに出ると思いますが、春夏ものを中心に買い付けて
くるかと思います。
いや、そうでもないか。
最近では、古着に関しては逆にどんどん季節感が無くなっています。
寒いうちに薄いものも、暑いうちに厚いものを買い付ける傾向が強まってきていて、
要するに、季節とか関係なくオールシーズンで良いものを買い付けようよ、
ということにしているのです。
そうしないと、各アイテムが1シーズンに必要な数が確保できないのです。
各シーズンのアイテムを1年通して集める、ということですね。
そのため、買い付けの度に隅から隅まで品々を見て選んでいかなくてはならないので、Kのバイイングの負担は相当のものです。
夏だからコートやレザーは見ません、とはいかないということで、倉庫に入ったら
倉庫内の品全てに目を通さなければならないというわけですから。
いつも店頭でヘラヘラしていたり、パソコンでネットサーフィンをしている彼ですが、 フランスなどではほとんど泣きながら仕事をしているのです。
そんな彼に僕はこう言いたい、
ほらほら、泣いてないでもっとあっちの方にいいものがありそうだよ、
その訳のわからない英語を駆使してもう少しだけ安く買わせてもらいなさい、
と。笑。
まぁ本人が 「僕の仕事はつらいんです!」 なんて言えないので、代弁した感じですが、特にこの寒い時期、例えばパリなんかは日本よりもっと寒いらしいので、相当に大変らしいですからね。
偉いものですよ、ホント。
|
●
こう寒いと家を出るのもためらわれますし、会社や学校が終わったらすぐに
家に帰りたくなりますよね。
そこをなんとか、FUZZに寄るついでに近くのおいしいラーメン屋さんにでも寄ってもらうというかたちで(笑)。
いえ、ラーメン屋さんに行くついでにFUZZにお寄りいただく、というかたちでも
構いませんから。
ラーメン屋のカリスマ 『麺屋武蔵』 を筆頭に、FUZZの近辺には有名でおいしい
ラーメン屋さんが多いです。
隣のビルの 『中本』 は激辛ラーメンが売りで、特に寒い時期には武蔵よりも
行列は長いようです。
ラーメン屋さんの宣伝をしてもしょうがないですね ・・・。
今週はご来店されるお客様が少なかったのでつい、、。
逆にそんな中、ご来店して下さった皆様、本当にありがとうございます。
そして何より、ご来店されるお客様が少ないのを寒さのせいなどにしないよう、
強い心を持って頑張ってまいりたいと思います。
|
| ●
ー The Story of “adidas”. Vol. 14 ー |
明確なブランドコンセプトの再定義から始まり、それに沿って組織革新がなされ、
ロゴに関する決定もなされ、アディダスの内部は明確に変化している状態です。
しかし、どん底まで落ち込んだ会社を立て直すのですから、そう簡単には結果としては現れてきません。
これは仕方ないです。
変化を与えようと大きなエネルギーを注いだ時、目に見える、肌で感じられる結果を手にするには、それまでの期間、何があろうと辛抱強く、自分達で掲げたコンセプトを信じ、同じテンションとエネルギーを注ぎ続けることができるかが大切になってくるのかな、と思います。
改革の序盤は大張り切り、少し経って疲れてきた時に結果が出ていない状態であると、信念がぐらついてきて、ひょっとしたらこのまま頑張ったところで、時間と労力の無駄になるのではないだろうか?なんて思ってしまいそうですからね。
そこをもうひと踏ん張りできるか、ではないでしょうか。
おそらくですが、新しいオーナーとしてルイス・ドレイファスが就任したのは
アディダスにとってそんな時だったのではないかと思えます。
ストラッサーとムーアを中心に取り組んだ改革に、さらにルイス・ドレイファスという
企業経営の名人がトップに立つことによって、社風の根底の部分が改善され、
改革が進めやすい基盤ができあがったのだと思います。
すごく頑張っているけどなかなか結果が出ない、そんな苦しい時期に、
まさに絶好のタイミングでのルイス・ドレイファス登場、だったと思えるのです。 |
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
結果的に、ルイス・ドレイファスがトップに立って、みるみる業績が回復を始めます。
それはここまで書いてきた変革が功を奏しはじめ、結果に結びついてきたということです。
ストラッサーとムーアはアディダスに明確なビジョンを掲示し、そこへ向かう体制を整え、社員一人ひとりの意識を劇的に変えさせました。
ルイス・ドレイファスは、それらの改革がより一層進んでいくよう、資金の面での安心感を与えたのはもちろん、大きな視点でものごとを捉え、技術な面やコアな戦略的な部分の以前の部分に必要な改革を大胆に断行しました。
そうした内容とタイミングがかみ合って、アディダスは名実ともに復活を遂げることに成功したのです。 |
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
アディダスの復活は、ルイス・ドレイファスが魔法をかけたように見えます。
実際には、消費の側からは見えない部分での努力の積み重ねがあったわけですが、『魔法をかけた』 という表現も間違っているようには思えません。
CEOに就任後、自分の執務室のドアを開け放し、役員達を解放的にして、
自らもいろいろな社内会議に顔を出し、社風を打ち解けた状態に変えることから
はじめて(これはストラッサーが持ち込んだ新しい組織体系や、ストラッサーが連れてきた国際感覚豊かな若い社員によく馴染んだのです)、一方で採算の合わない
ヨーロッパの工場を閉鎖して、その分テレビ広告に大金を投じます。
マーケティングや広告の予算をそれまでより大幅に増やし、 外に向かってより積極的な姿勢をとりながら、リーボックから幹部を引き抜いて、アジアの工場の生産体制を強化していくことも忘れません。
マーケティングの分野では、サッカーやラグビーのいくつものチームと契約するよりも、インパクトのあるスター選手と契約することが大切であると理解しており、
既にチームとして大きな “スポーツブランド” と化しているレアル・マドリードと首尾よくスポンサー契約をしたりもしています。
例えば国際ラグビーに投資を増やそう決まった時、
「候補はどこだい?」
「南アフリカ、フランス、アルゼンチン、ブリティッシュ・ライオンズ ・・・」
ドレイファスは途中で遮って、
「最高のチームは?」
「オールブラックス(ニュージーランド)でしょうか」
「よし、他は全て却下だ。オールブラックスに決めよう」
それから1週間のうちに宣伝部の部長がニュージーランドへ飛び、スポーツ史上最大となる契約を結んだというエピソードもあります。
そして何より、国際的であり、企業経営の名人としてのルイス・ドレイファスの存在感が社員にプライドを与えたことも彼の大きな功績と言えるでしょう。
そのカリスマ性は、社員に 『自分達のトップに立っている人間は、ルイス・ドレイファスだ』 という自信と安心感を与え、いろいろな局面で、一人ひとりの仕事ぶりに好影響を与えたのです。
|
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
こうしたルイス・ドレイファスの経営手腕や現場での努力によって、アディ・ダスラーが興した “adidas” というブランドはみごとに復活し、現在に至ります。
一介の靴職人であったアディ・ダスラーの熱意によって生み出されたスポーツシューズブランドが世界的なスポーツの総合ブランドとして君臨することになっていくのですが、その歴史を辿ると、世相・時代の移り変わりによって変化しなければならない部分と、アディ・ダスラーが極めたブランドのコアとなる熱意や精神といった変わってはいけない部分が、機会がある度に浮かび上がっていることが分かり、非常に興味深く思えます。
さて、歴史を辿るのはここまでとし、次回あたりでいいかげんに最終回としようと思います。 |
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
―― 次回に続きます。 |
| ※この文は 『アディダス 進化するスリーストライプ』(コンラッド・ブランナー著/ソフトバンククリエイティブ)
の内容に則しています。 |
|